2019年の箱根駅伝で優勝を果たした、東海大学の両角速(もろずみ はやし)監督には、2人の息子さんたちがいます。
それぞれ陸上選手・野球選手としての経歴がある息子さんたち。
そしてスポーツ選手だった嫁さんのことも合わせて紹介したいと思います。
両角速監督の息子は陸上選手だった!
【高根沢元気あっぷ長距離走大会】
50歳代10キロ
12位 43分04秒両角速 監督 (東海大学) pic.twitter.com/EFt18aW1oS
— 西川雄一朗 (@yuchun1228) January 13, 2019
長男の高校時代
両角速監督の長男の名前は駿(しゅん)さんといいます。
父親と同じ陸上選手となり、高校は当時両角速監督が監督を務めていた、佐久長聖(さくちょうせい)高校に進み、駅伝部に入部します。
佐久長聖高等学校の卒業証書授与式に、市長とともに来賓として参列しました。
佐久長聖高校は、東大や京大をはじめとする難関校に多数の合格者を輩出し、野球部や駅伝部の活躍も目覚ましいものがあります。
佐久長聖高校は、わが佐久市の誇りのひとつであります。 pic.twitter.com/iIVf3sQPTO— 小林たかゆき (@kobataka394) March 4, 2017
とても厳しい高校生活だったそうで、練習と寮と学校の3つしかないという生活で、1年生は自販機でジュースを買うこともコンビニの寄り道も禁止でした。
さらに1日のスケジュールがかなりタイトで、「100分の1秒まで争う競技をしているのだから、時間にシビアでなければいけない」とのこと。
両角速監督はこの頃から厳しかったのですね。
大変でしたが、目標とそれに向かう粘り強い姿勢を学んだそうですよ。
両角駿
佐久長聖高校→東海大学
中学時代から名を馳せていたランナー。ジュニアオリンピック3000mでは3位入賞した。父が指導する東海大学に所属し高みを目指す。他のルーキーやエースなどと切磋琢磨し今年こそ覚醒を待ちたい。 pic.twitter.com/NmwVTnkIcq
— 長距離選手名鑑 (@DKQ376NJ) August 9, 2013
息子の駿さんは、高校1年で全国高等学校駅伝競走大会に出場。
7区のアンカーを走って区間2位となり、佐久長聖高校の全国4位という成績に貢献しました。
また世界クロスカントリー選手権大会の日本代表に選ばれるなど、順調な高校生活を進んでいるように見えました。
【#世界クロカン🇩🇰】
世界クロスカントリー選手権大会がオーフスにて開催されました❗️今回のコースは多くの方が史上最も過酷なコースの一つと挙げ、様々な障害に加え、傾斜の厳しい博物館の屋根のスロープの上も走るというユニークなレースでした🏃♀️🏃♂️💦
▼リザルトはこちらhttps://t.co/agPtsjSw9C pic.twitter.com/Hesu6FmQsO— JAAF(日本陸上競技連盟) (@jaaf_official) March 31, 2019
しかし駿さんは2年生のときに、練習中に怪我をしてしまいます。
復帰をしたかに思えた3年生に大腿骨疲労骨折をしてしまい、満足した結果を残すことは出来ませんでした。
長男の大学時代
箱根駅伝 東海大学駅伝部
悲願の初優勝おめでとうございます㊗️昨年は小諸市で約1カ月の長きにわたり高地トレーニングを積まれ、チカラを養っていただいたことは私たちにとっても大変名誉で嬉しいことです。
両角速監督、選手や部員、関係各位のご努力に心から敬意を表します。#東海大学#箱根駅伝 pic.twitter.com/KDxNN3IFmM— 小諸市長 小泉俊博 (@komorojin) January 3, 2019
両角速監督は佐久長聖高校から東海大学に移られ、息子の駿さんもその後を追うかのように、東海大学に進学し陸上競技部に行かれます。
しかし高校時代からの怪我を引きずってしまい、大学2年生の夏に競技から立ち去ることを決断しました。
幼少の頃から頑張ってきた陸上を辞めるのは、苦渋の決断だったでしょう。
現役選手の道をあきらめた駿さんは、父親の姿を思い浮かべたのでしょうか。
指導者として歩むため、大学院を目指します。
大学を卒業してからの長男
大学を卒業した息子の駿さんは、東海大学大学院体育学研究科体育学専攻に進まれます。
それと並行して、父親である両角速監督の下で、東海大学陸上部の
長距離・駅伝コーチを務めました。
引用元:http://tokai-track-field.shn.u-tokai.ac.jp/shoukai.html
大学院で勉強しながらコーチをするなど、かなり大変な生活だったでしょう。
そこは厳しかった高校時代のおかげで、乗り越えられたのかもしれませんね。
現在駿さんは、東海大学付属相模高校で、陸上競技部長距離ブロック顧問を務めています。
着実に両角速監督の背中を追いかけ、指導者として歩んでいるようです。
両角速監督の息子は野球選手だった!
次男の高校時代
両角速監督の次男の名前は優(まさる)さんといいます。
優さんも高校は、佐久長聖高等学校の出身です。
ただ陸上部ではなく野球部に所属。
投手として活躍し、2014年夏の甲子園にも出場を果たしています。
両角優(佐久長聖)#甲子園 #高校野球 #イケメン pic.twitter.com/GIpDsoji3x
— 高校野球イケメン (@kk89no1) August 24, 2014
183cmの右腕から投げおろされる、130キロ半ばのストレートとスプリットは、対戦相手もかなり打ちづらかったようです。
甲子園ピッチャーだなんて、両角速監督の息子さんは優秀ですね。
もちろん両角速監督の厳しい育て方があったであろうことは、推測に難くありません。
次男の大学時代
両角速監督の息子である優さんは、プロ野球のドラフト候補との声が高かったのですが立教大学に進学します。
高校の先輩に話を聞いて、立教大学で野球をしたいと思ったそうですよ。
【東京六大学ブログ更新情報】
ー小野・荒木のブログを更新いたしました。
タイトル:LAST DAY「TOKYO ROCKS!2019」
立教大学ブログはこちら⇒ https://t.co/rVEu3tX34U#rikkio #big6 #東京六大学野球 #立教 pic.twitter.com/Q037fyPMXl— 立教大学野球部【official】 (@rikkiobbc) December 15, 2019
ただ野球部に入部したものの、肘の怪我で思うように投げられなくなります。
このまま肘の痛みを抱えたままプレーするよりも、チームの役に立ちたいという思いから、優さんは学生コーチになりました。
何かお兄さんの駿さんと、似たような境遇ですね。
【東京六大学ブログ更新情報】
―小林万のブログを更新いたしました。
タイトル:【幹部・スタッフ紹介⑤】学生コーチ・両角優編「TOKYO ROCKS!2017」
立教大学ブログはこちら⇒https://t.co/miT2ARfzTW pic.twitter.com/KATEoUibrc— 立教大学野球部【official】 (@rikkiobbc) December 10, 2017
優さんとても悩まれたかと思ったら、決断まではあまり時間はかからなかったそうです。
きっと父親の両角速監督の姿を見ていたからこそ、コーチをすることにも抵抗感がなかったのでしょう。
大学を卒業してからの次男
立教大学を卒業してからの優さんは、地元の長野県にある長野朝日放送に就職しました。
ここも外せない長野朝日放送本社❗
1話で白のクウガとグムンが闘った所です👍
しかし印象に残ってた階段部分の前には現在新しい建物(倉庫?)が……またしても時の流れを感じる……20年前だもんな…… pic.twitter.com/E3uLj3UzK8
— カイリ@自転車日本一周完 (@jitensyatabi) July 7, 2019
立教大学野球部のホームページ2018年卒業進路に記されていたので、間違いなさそうです。
ただし具体的にどのような仕事をされているのかは、見つけられませんでした。
両角速監督の息子である優さんのこと、どんな仕事でもバリバリこなしているのでしょうね。
両角速監督の嫁はスケート選手だった!
両角速監督の嫁の情報は、あまり詳しくは出てきませんでしたが、名前は貴子さんといいます。
両角速監督のひとつ年下です。
貴子さんはスピードスケートの選手経験があり、全国大会にも出場したことがありました。
ずっと長野県で育ったようで、両角速監督が東海大学の駅伝監督に決まったときは
「嫁は長野で育ったから納得してない」
とコメント。
東海大学は神奈川県ですからね。
両角速監督の息子と嫁のまとめ
「DeNAが下部組織を設立。育成テクニカルダイレクターに両角速氏が就任」https://t.co/mVWOySbw36
子どもをモロさんに預けたい親が続出!DeNAアカデミー→佐久長聖→東海大学→オリンピックへ。 pic.twitter.com/7OXvUZGkMD— EKIDEN News (@EKIDEN_News) December 16, 2015
両角速監督の息子さん2人と嫁さんは、皆優秀なスポーツ選手なことがわかりました。
そして息子さんはどちらも怪我で現役から離れ、コーチの経験をしてきました。
両角速監督という存在がいたからこそ、このような選択が出来たのではと感じます。